テコンドーを始めたきっかけ
私がテコンドーを始めて11年になります。今年に入り白帯の会員が増え、自分が白帯時代のことを思い出したので、テコンドーを始めたきっかけをお話したいと思います。
『カッコよかったから』
で終わると味気ないので、もう少し理由を述べます。小学生のころの私は背も低く、やせていて友達からよくからかわれていました。そんなこともあり強くなりたいという思いが潜在的にありました。
高校を卒業し、格闘技を習いたいと思いました。みなさん、そうでしょうが家から通える格闘技道場を探しました。が、ほとんどありません。高校のころは週一のクラブで全空連系(と思います)の空手を少しやりました。大学時代は知り合った友人がやっていたころもあり、少林寺拳法をやっていました。一生懸命やっていたのですが、今思えば、常にコレでいいのか?強くなっているのか?と思っていました。
そんな折、一冊の本と出会います、『The 蹴り』です。蹴りをよく使う格闘技の特集号でした。その中にテコンドーがありました。当時はITFとWTFの違いも分からなかったのですが、1枚の写真に衝撃を受けました。その写真は後にテコンドーを教えていただくことになる黄秀一師範がサンドバックにティミョ・ヨッチャチルギ(飛び横蹴り)を行っている写真でした。コレだ!!!と思いました。自分に出来ないなど全く考えず、テコンドーがやりたいとただ純粋に思いました。
当時、ITFテコンドーは地方にはほとんど普及しておらず、テコンドーをやりたいができない、そんな状況でした。しかし、そこで日本国際テコンドー協会のテコンドー通信スクールを知り、さっそく受講しました。ビデオに写る選手の蹴る姿にとても興奮、感動しました。また、そのころ、森松指導員と知り合いました。当時は2人とも黄帯でしたが、よくいっしょに練習をし、将来は指導員になりたいということを話していました。ちなみに今、小倉クラブの練習会場である南武道場で練習を行っていました。
その後、仕事の都合で鹿児島にいくことになりましたが、ほぼ同時期にテコンドーを始めた寺田指導員が指導をしていた宮崎道場に月1回通わせていただき、練習を行っていました。
指導をしてもらえる人もいない状態でしたので、ちゃんと習いたい、やる以上は徹底的にやりたい。また、自分がテコンドーをしたかったときに道場がなくできなかったので、そういう人のためにも地元にクラブを作りたいと思い、会社を辞め、本部道場の内弟子になりました。
本部道場の練習は、大変しんどく毎日何も考えられないぐらいボロボロになりました。けれどあの時、お世話になった師範、指導員、先輩、同期のメンバーのおかげで現在、指導員としてテコンドーの指導をしております。本当にあの時、大変貴重な経験をさせていただきました。一生かけても返しきれないぐらいの恩を受けたと思っております。私にできる唯一の恩返しがあるとするなら、私がテコンドーをこれからも続けることと後進の指導、クラブを大きくすることだけだと思います。
これからもテコンドーをがんばっていきます。
『カッコよかったから』
で終わると味気ないので、もう少し理由を述べます。小学生のころの私は背も低く、やせていて友達からよくからかわれていました。そんなこともあり強くなりたいという思いが潜在的にありました。
高校を卒業し、格闘技を習いたいと思いました。みなさん、そうでしょうが家から通える格闘技道場を探しました。が、ほとんどありません。高校のころは週一のクラブで全空連系(と思います)の空手を少しやりました。大学時代は知り合った友人がやっていたころもあり、少林寺拳法をやっていました。一生懸命やっていたのですが、今思えば、常にコレでいいのか?強くなっているのか?と思っていました。
そんな折、一冊の本と出会います、『The 蹴り』です。蹴りをよく使う格闘技の特集号でした。その中にテコンドーがありました。当時はITFとWTFの違いも分からなかったのですが、1枚の写真に衝撃を受けました。その写真は後にテコンドーを教えていただくことになる黄秀一師範がサンドバックにティミョ・ヨッチャチルギ(飛び横蹴り)を行っている写真でした。コレだ!!!と思いました。自分に出来ないなど全く考えず、テコンドーがやりたいとただ純粋に思いました。
当時、ITFテコンドーは地方にはほとんど普及しておらず、テコンドーをやりたいができない、そんな状況でした。しかし、そこで日本国際テコンドー協会のテコンドー通信スクールを知り、さっそく受講しました。ビデオに写る選手の蹴る姿にとても興奮、感動しました。また、そのころ、森松指導員と知り合いました。当時は2人とも黄帯でしたが、よくいっしょに練習をし、将来は指導員になりたいということを話していました。ちなみに今、小倉クラブの練習会場である南武道場で練習を行っていました。
その後、仕事の都合で鹿児島にいくことになりましたが、ほぼ同時期にテコンドーを始めた寺田指導員が指導をしていた宮崎道場に月1回通わせていただき、練習を行っていました。
指導をしてもらえる人もいない状態でしたので、ちゃんと習いたい、やる以上は徹底的にやりたい。また、自分がテコンドーをしたかったときに道場がなくできなかったので、そういう人のためにも地元にクラブを作りたいと思い、会社を辞め、本部道場の内弟子になりました。
本部道場の練習は、大変しんどく毎日何も考えられないぐらいボロボロになりました。けれどあの時、お世話になった師範、指導員、先輩、同期のメンバーのおかげで現在、指導員としてテコンドーの指導をしております。本当にあの時、大変貴重な経験をさせていただきました。一生かけても返しきれないぐらいの恩を受けたと思っております。私にできる唯一の恩返しがあるとするなら、私がテコンドーをこれからも続けることと後進の指導、クラブを大きくすることだけだと思います。
これからもテコンドーをがんばっていきます。